前回は世界陸上アルティメット選手権について書きました。
今年発表され、2025年の初開催が近づいてきた大会の1つにグランドスラム・トラック(Grand Slam Track)があります。
これは従来の陸上競技大会の考え方とは、一線を画したスキームの大会です。
現在の陸上競技大会やワールドランキング制度の背景や在り方とは別軸の、違う物差しに乗った大会であると言えます。
2025年は東京で世界選手権が開催されますが、個人的にはそれに引けを取らないくらい注目度の高い大会です。
グランドスラム・トラック
概要(2025年シリーズについて)
正式名称:Grand Slam Track
開催日程・場所:
2025年4月4日-6日 ジャマイカ・キングストン
2025年5月2日-4日 アメリカ・マイアミ
2025年5月30日-6月1日 アメリカ・フィラデルフィア
2025年6月27日-29日 アメリカ・ロサンゼルス
主催:Grand Slam Track (設立者: マイケル・ジョンソン)
WRk カテゴリ:F
特徴①:実施種目
グランドスラム・トラック(GST)は4月-6月にかけて、3日間の試合が計4試合行われ、それぞれの試合をスラムと呼びます。
出場選手は各スラムで1種目に出場するのではなく、以下の表のイベントグループに従った指定の2種目に必ず出場します。
Event Group | EventⅠ | EventⅡ |
---|---|---|
Short Sprints | 100m | 200m |
Long Sprints | 200m | 400m |
Short Hurdles | 100m/110m Hurdles | 100m flat |
Long Hurdles | 400m Hurdles | 400m flat |
Short Distance | 800m | 1500m |
Long Distance | 3000m | 5000m |
見ての通り、近しい2種目ではありますが、ハードル専門の選手がフラットレースに出場したり、400mや800mのみを専門にしている選手が、200mや1500mに出場したりと、普段は見られないレースが行われることも興味をそそられるポイントです。
特徴②:出場選手
各スラムで、男女12のイベントグループごとにたった8人の選ばれた選手が出場します。
その中で出場選手は以下の2カテゴリに分類されます。
Racer(レーサー)
- 男女各イベントグループで4名、計48名の選手が「レーサー」として年ごとに選出される。
- レーサーは、グランドスラムトラックレース委員会によって、各イベントグループで最速かつ最高の選手を含む様々な要素を組み合わせて選出される。
- レーサーは年間4つのスラムすべてに出場する。
- 各スラムに出場することで年間出場料が補償され、かつ順位に応じた賞金を受け取ることができる。
- レーサーはリーグのグループ・ライセンス・プログラム、ファン・データ分析プログラム、個人ブランドとオフ・ザ・トラックの発展をサポートするクリエイティブ・サービスを利用できる。 また、アスリートのトレーニング中、食事中、睡眠中の様子を撮影するコンテンツ・チームも用意されている。
- 2025年のレーサーはこちら。
Callenger(チャレンジャー)
- レーサーに加えて、スラム毎に48名の選手が「チャレンジャー」として選出される。
- チャレンジャーは、グランドスラムトラックレース委員会によって、最近の成績、最も興味をそそられる選手や対戦相手など、さまざまな要素を組み合わせて選ばれる。
- チャレンジャーも出場料と順位に応じた賞金を受け取ることができる。
こちらもGSTが他の大会と一線を画すしていることを特徴づける仕組みです。
チャレンジャーは、これまでの大会と同様と言えば同様ですが、レーサーはグランドスラム・トラックというリーグと、全レースに出場するといういわばプロ契約をし、そのリーグに所属する選手となります。
これは、野球やサッカーのプロリーグの要素を取り入れた、陸上界の新しい形といっていいでしょう。
特徴③:競技方法
各スラムでは以下の方法で順位が決定されます。
- 競技者は2つのレースそれぞれにおいて、タイムは関係なく順位に応じてポイントを獲得する。
- 1位から8位までのポイントは以下のように配分される: 10-8-6-5-4-3-2-1。
- 2レース終了後、合計ポイント数が最も多い選手がスラム・チャンピオンとなり、順位に応じた賞金が支払われる。
- 同点の場合は、合計タイムの最も少ない選手が勝者となる。
タイムはもちろん公認ですが、完全にHead-to-Head(真っ向勝負)にこだわったレースが展開されます。
そのため、Middle Distance (800m+1500m)、Long Distance (3000m+5000m) のイベントグループでも、ペーサーやペーシングライトは一切使用されません。
特徴④:年間出場料・賞金
前述の通り、GSTと契約したレーサーには年間出場料(Annual appearance fee)が支払われます。
また、各スラムでの順位に応じて以下の通りの賞金が支払われます。
順位 | GST PER SLAM | 日本円換算(約) | 世界選手権 | DL Final Diamond+ | DL Series Diamond+ | 世界アルティメット選手権 |
1st | $100,000 | 1500万円 | $70,000 | $50,000 | $20,000 | $150,000 |
2nd | $50,000 | 750万円 | $35,000 | $20,000 | $10,000 | ー |
3rd | $30,000 | 450万円 | $22,000 | $10,000 | $6,000 | ー |
4th | $25,000 | 375万円 | $16,000 | $6,000 | $5,000 | ー |
5th | $20,000 | 300万円 | $11,000 | $5,000 | $3,000 | ー |
6th | $15,000 | 225万円 | $7,000 | $4,000 | $2,500 | ー |
7th | $12,500 | 190万円 | $6,000 | $3,000 | $2,000 | ー |
8th | $10,000 | 150万円 | $5,000 | $2,000 | $1,500 | ー |
Total | $12,600,000 | 19億8000万円 | $8,498,000 | $9,200,000 | $10,000,000 |
参考として、世界選手権、ダイヤモンドリーグファイナル(DL Final)、ダイヤモンドリーグの各試合(DL Series)、世界アルティメット選手権の賞金(公開済み)も付記しました。
※2025年シーズンから、ダイヤモンドリーグの各大会で4種目(ファイナルは8種目)がDiamond+ Disciplineに設定され、より高い賞金を獲得できる。表はそのDiamond+ Discipline。
世界選手権や最高峰のOne-Day Meetingであるダイヤモンドリーグと比較しても、賞金総額を見ても、非常に高い賞金設定となっていることがわかります。
その他公開済み情報
今回も大会ウェブサイトのFAQ(よくある質問)から抜粋・翻訳します。
グランドスラム・トラックは何に重点を置いているのですか? – グランドスラム・トラックは、レースにおけるライバル関係、つまり、真っ向勝負とストーリーテリングに重点を置いています。 一度に1つのイベントだけが競われ、テレビで放映されます。 私たちは、トラックファンの皆さんに、お気に入りのスター選手たちの真剣勝負をより定期的に見る機会を提供することに重点を置いています。 私たちは、地球上で最大のスポーツ・プロパティの1つになることを目標としています。
レーサーは他の大会に出場できますか? – もちろんです。 私たちは、レーサーたちができるだけ多くの大会で世界的に走ることを望んでいます。 私たちは、トラックエコシステムの他の部分を積極的にサポートしたいと考えています。
なぜフィールドイベントを主催しないのですか? – 私たちは一度に1つのイベントしか紹介せず、放送ではそのイベントを祝福し、解剖することにかなりの時間を費やします。 ですから、私たちは、テレビ用に作られた枠の中で有意義かつ明確に共有できるトラック種目のストーリーテリングに集中することを決定しました。 私たちは、その期間中にファンに見せることのできるレースだけに集中しています。
グランドスラム・トラックは、他の陸上競技のステークホルダーと協力していますか? – 私たちは、WAやアメリカ陸連といった現在の統括団体や他のステークホルダーと協力し、カレンダーを作成し、スポーツの成長をサポートしています。
誰から、いくら調達しましたか? – 私たちは、パートナーから3,000万ドルの資金提供を受けていますが、主な資金は運営パートナーであるWINNERS ALLIANCEから得ています。 WINNERS ALLIANCEのチームは、NFLPA(National Football League Players Association)、MLBPA(Major League Baseball Players Association)、NWSLPA(National Women’s Soccer League Players Association)、NHLPA(National Hockey League Players Association)、プロテニス、クリケットなどで、大規模なアスリート主導の商業ビジネスを構築してきました。 私たちは、世界中のアスリートのための新しいパラダイムを共に築いています。
どうやって収益を得ますか? – テレビ放映権、メディア放映権、スポンサーシップ、大会当日の収入、マーチャンダイジング、そして時間をかけて構築する付随的な収入源から収益を得ます。私たちは、明日のための素晴らしいエンジンを構築するために、今日、選手たちに十分な報酬を支払っているのです。
所感
新しいトラックリーグの在り方について
GSTは、陸上界で初めて、野球やサッカーといったプロスポーツに近い在り方になります。
ただし、一部トラック種目のみに限定されているため、「陸上競技(Track & Field)としては不完全だ」といった意見もありますが、このグランドスラム・トラックの設立者である、マイケル・ジョンソン氏は “I think I can save track – not track and field”「私はTrack and Field(の全て)ではなく、Track(だけなら)を救えると思う。」(※括弧内は意訳)と説明しています。
確かに、フィールド競技や混成競技、ロード競技は蔑ろにされている印象を受けるかもしれませんが、まだまだプロスポーツとしての市場としては他のメジャースポーツに劣る陸上競技なので、できるところから着手する、という考え方は大事で、大きな一歩になるのかと思います。
もし、このGSTという在り方が成功すれば、それがロールモデルとなり、「グランドスラム・フィールド」や「グランドスラム・コンバインド」などができるかもしれませんし、「グランドスラム・トラック」とは別のリーグができて、リーグ対抗のようなカタチができるかもしれません。
余談ですが、リーグに所属しレースに出場するだけで収入が得られるというプロの仕組み自体は、日本の実業団も似通っているところもあり、実業団という仕組みは恵まれた環境だとも感じました。
カレンダーへの影響
GSTは前の記事で紹介したアルティメット選手権の位置付けであるシーズンのフィナーレとは逆に、アウトドアシーズンがより活気付くことを目的の一つとして、4月から6月にかけて行われます。
今年からアウトドアシーズンのカレンダーが全体的に後ろ倒しになったことにより、当初想像していたよりは窮屈にならず、割と収まりよくなっており、各国の国内選手権や世界選手権にも大きな影響はありません。ダイヤモンドリーグともなんとか兼ね合いができそうです。
3月21日-23日に中国・南京で世界室内選手権があり、GSTの1戦目が4月4日-6日なので、トラック種目のインドア-アウトドアシーズンの繋ぎ目が薄くなることは影響としてあげられるかもしれません。
以下のBBC SportのWeb記事内にあるスケジュールの表が、インドア、GST、ダイヤモンドリーグ、主要選手権がまとめられていて非常に見やすかったので貼っておきます。(※英国代表仕様です)

選手の出場動向
こちらから48人のレーサーのリストは見られます。日本からは田中希実選手が唯一契約しています。
錚々たるメンバーが名を連ねている一方で、一部ビッグネームは今シーズンはレーサーとして契約していません。
よく記事で名前が挙がるのは、ノア・ライルズ選手、シャカリ・リチャードソン選手、フェムケ・ボル選手、ヤコブ・インゲブリクトセン選手、キーリー・ホジキンソン選手、アシング・ムー選手、グラント・ホロウェイ選手などです。
どの選手も2種目こなせる上、出場すれば上位に入ることができる可能性が高いですが、契約はしなかったようです。
それぞれの選手にプランやビジョンがあると思うので、私がどうこう言うのもずれていますが、敢えてGSTとの契約を避けた理由として挙げるとすれば、
- 契約しなくても出場料も賞金もフルで獲得できる権利がある
- 年間スケジュールに支障が出る
- ワールドランキングのカテゴリがFである
あたりかと考えます。
「契約しなくても出場料も賞金もフルで獲得できる権利がある」についてはその通りで、出場料はレーサーより少ないとは思いますがチャレンジャーにも支払われ、賞金はチャレンジャーとして出場しても順位に応じて満額もらえるため、契約をして3ヶ月の間に2レース×4スラムの縛りをつけるのをリスクと取る考え方もあります。
「年間スケジュールに支障が出る」については、上記と通じるところがありますが、3月末の世界室内にも出て、4月初旬からのGSTにも出て、ダイヤモンドリーグにも出て、国内選手権にも出て、ダイヤモンドリーグファイナルにも出て、最後に9月の世界選手権で結果を残すというスケジュールは約半年間、高いパフォーマンスの維持が求められます。
一方で、今後はこのようなカレンダーで推移していくことを考えれば、適応していかなければいけない問題とも言えます。
「ワールドランキングのカテゴリがFである」。これについてはトップ選手にとっては大きな問題ではないかもしれませんが、2025年シーズンに関してはGSTのレースはワールドランキングのカテゴリ上は最低のFランクです。つまり、プレイシングスコアがほとんど獲得できず、ワールドランキングへの影響はほとんどありません。特に距離が長くなればなるほど、Fのレースに8本費やすことへの抵抗があるかもしれません。ペーサーもペーシングライトなく、順位のみでポイントがつくので、中長距離種目はスローな展開からのスパート合戦が多くなりそうです。
蓋を開けてみないとわかりませんし、多少賛否もある大会ですが、新しい取り組みとしては非常に興味深く、今後の陸上界のエコシステムにも大きく影響を与えてくれることを期待しています。
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